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津波で家を流された方々も、避難所生活からやっと仮設住宅に移り、生活も少しずつ落ち着き始めています。とはいえ急に暑くなったり、台風がきたりで、慣れない仮設住宅や避難所生活はつらいものがあるようです。原発の不安はまだまだ続きそうで、気を抜くことができません。
そんな中、皆で元気を取り戻すために8月14日、相馬市アリーナで『相馬盆踊り』を開催することになりました。
これまで盆踊りは市内各地で行われてきましたが、今年は震災の影響で開催を諦めなければならない状況…。そこで、市中心部のアリーナで開催をすることで久しぶりに皆で踊ろうと、「おひさまプロジェクト」でも相馬市の方々と共に活動しております。
7月23日には神事である相馬野馬追いも行われます。
盆踊りもお馬追いも私達の元気の素なので、皆で歌って踊って元気を取り戻したいと思っています。改めて故郷というものを、強く感じる今年の盆踊りになるのかんという気がしています。
私達も街中、合同でやれるのは久しぶりなので、楽しみにしています。
とはいえ、津波などにより全てを奪われてしまった被災者の方々は、浴衣や帯などをお持ちではありません。
皆さんに着ていただくため8.14相馬『ゆかたプロジェクト』として、浴衣を集めさせていただきたいと思っています。目標は1000着!
8.14相馬『ゆかたプロジェクト』詳しくは↓↓↓のリンクをこちらをご覧ください。http://micanbako.com/imgs/blog/A4_ohisama_yukata.pdf
皆様、ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
おひさまプロジェクト代表・大石ゆい子
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皆さんにたくさんご報告やお知らせがあるのですがアップできずにおります。
5月に「おひさまカフェ」の告知をしてからアップしていませんね。ごめんなさい!
「おひさまカフェ」は震災直後から追い詰められたように動き回っていた私と友人に、仙台にどうしても行かなければならない事があり出かけた帰り道、友人のご主人が「たまにはどうぞ」と言って「あんみつ」をご馳走してくれたことが切っ掛けで始まりました。
久しぶりに頂いた「あんみつ」の威力はすざましく私たちを癒してくれました。
「たまにこういう事がないと元気でないんだね」とその時初めて気づきました。
避難所の女子を対象にたまには避難所を出て違った環境でスイーツを頂きながら「ほっと」して頂こう、そして困っていることなどの聞き取りができればと思ったのが切っ掛けでした。
資金は私が通っていた山梨のNPO法人「えがおつなげて」の曽根原代表が集めて下さった義捐金と先輩や友人から頂いた見舞金を充てることにしました。
また「おひさまカフェ」の試行を知った飯舘村のお友達が千葉の鴨川にある自然王国の首藤さんにつないで下さり「おひさまカフェ」の応援に来て下さいました。
皆さんの小さいけれど熱い思いを被災者の皆さんに何とかつなげたいと思い、皆さんから頂いた救援物資を会場に並べ欲しいものを持って行って頂くことにしました。
私がアップできないでいるうちにみなさんがHPやブロッグにアップして下さいましたのでリンクしておきますのでご覧下さい。
山梨のNPO法人「えがおつなげて」で一緒だった外島紀美子さんが「ひさいち女子応援部」を立ち上げてくれた経過など
http://ameblo.jp/hiromiseitai/entry-10902381266.html
「ひさいち女子応援部」での事前茶話会
http://ameblo.jp/romanoheijitsu/entry-10901583786.html
「ひさいち女子応援部」のチャリティーイベントに参加
http://ameblo.jp/josioenbu/entry-10909848976.html
「おひさまカフェ」の様子を「2030vision」の中山さんがアップして下さってます。
http://ameblo.jp/purc2030/entry-10904473255.html
震災直後から「物資の支援」や「聞き取り」を行ってきた。とくに「避難所に入れなかった被災者」や「被災にあいながら孤立する病院のスタッフ」、「介護施設」、そして「自衛隊」などへの支援と「避難所にいる被災者」、「被災した自宅に戻った被災者」、「計画的避難地域となった飯舘村の人々」、「立ち入り禁止となり故郷を離れている被災者」との会話から判ったことは何と言っても「復興に向けてのプラン」が必要であること。全てを失ったところから始めようとしている人々の気持ちを汲んでじっくり話し合い、形にしてゆくことである。つまり雇用の場、生活の場の提供である。
震災にあいそれでも踏ん張っている人々や人生の先輩に会い話を聞いいたことをまとめると
・現状は大空襲に似ている。
・終戦は戦争が終わったという気持ち解放感があった。
・人間が人間らしく生きれる希望があったしかし今回の災害は希望がない。
・特に相馬地方を含めた浜通りは生活再建の見通しもないまま原発からでる放射能という霧が故郷を奪い
さらになくそうとしている。
・生きるための基盤が全くなくなったのである。
・ゼロからの出発ができない、ゼロにできない。
などの根底にあるものは「希望がないこと」「見いだせないこと」が大きな課題でありこの課題を解決するためには非被災者を含めた共感の輪が必要なんだろうと・・・
わかっていても 「どうしたらいいんだろう」 「何ができるんだろう」 「どこからはじめたらいいんだろう」そんな思いだけが湧いてくる。
私に何ができるのだろう・・・ そんな思いのなかから試してみようと思ったのが「おひさまカフェ」の試みです。
避難所にいる女性たちに元気になっていただき、
報告が遅れてしまいましたが4月23日(土)代々木公園で行われた『アース・デー』で災害地からの報告ということでお話ししてきました。
当初、現地のお話をして頂こうと飯舘村と南相馬市から3名の方の参加をお願いしておりましたが飯舘村が「計画的避難地区」として発表されてしまい、村中が騒然となってしまい村を離れられる状況ではなくなってしまいました。そこで皆さんと相談をして、皆さんの思いをメモで頂きそれを私がお伝えするということにしました。
飯舘村の16代目になる農業後継者がまとめて下さいました。
・「計画避難」という言葉が先に出てしまい何の方策も出さないので村民はひどく落ち込む人、ピリピリする人、村は緊張状態にある。
・国の情報の出し方は疑問! 水の問題、土壌の問題は村に連絡がないままメディアから出る、村民は役場をたたく、役場は対応におわれる。
もっと国と役場は連携してゆくべき。
また、IAEA、厚生労働省の出した天栄村の牛肉、肉から放射能が検出されたと報告があったが、その後どちらも再検査したら問題がなかった。なのに、再検査の結果報道はされない。これらは誰のための情報なのか?
本当は原発に近い住民に正確な情報を出すための数字なのに!
情報の垂れ流しこそ責任を求められるべきだ。
・村には多くの牛、家畜がいる。人間が避難するためには農家への補償が急務。
対応を早くして欲しい。牛はパートーなーであるし、財産でもある。
・国は継続的な土壌検査を行わない方針、なぜしないのか?
帰村や将来営農に向けての見通しをつける大切な情報だ!
・これから国と東電との戦い(交渉)になる。弁護してくださる方募集してます。
・飯舘村のホームページから義捐金を募集していますのでよろしくお願いします。
このメモをもとにお話ししてきました。
『アース・デー』のきっかけは前立教大学大学院准教授の佐野淳也先生のチームが現地視察にいらした時あまりの凄さに思いをあらたにされたようで、「長期的な支援の他に近々でできることはないでしょうか?」という話し合いの中で『アース・デー』に参加する事となりました。
当日は終了後たくさんの方々とお話ができました。みなさんから現地のお話を聞ける機会がないということでいろいろな質問を頂いたり、私が感じていることなどお話ししました。
今回の上京で、私自身はやはり現地の現実と都会との温度差を感じました。
今までも都市との温度差は感じていたので、今度のこの災害が温度差を縮めてくれたらと思ったりしています。
よい場を頂いた佐野先生に感謝です。
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